沖縄ウェディング プロデュース 「Love Baile(ラブバイレ)」

ラブバイレ誕生秘話

ラブバイレ誕生秘話

 それは2008年に始まった。自身の結婚式を控え、どうやって結婚式を作ろう…ともんもんと悩む日々。結婚に縁もゆかりもなかったころは、大好きなヨーロッパで両親だけを呼んで結婚式をやるんだ!!場所はやっぱりイタリアかなぁ?それとも…。とワクワクの日々。何も決まってもいないのに、決まっていないからこその妄想の日々。結婚生活は興味ないけど、結婚式に人一倍憧れのあった私。

 でも、実際に結婚相手に運よく巡り合うことが出来、結婚式が現実のものとなった時。ヨーロッパでの海外挙式の夢はあっけなくやぶれた。相手に関係者が多く、披露宴をきちんとやらないといけない、それには海外に行っている場合じゃなくなったのだ。重ねて彼が忙しすぎて、1週間のまとまった休みなど取れない。(そのため、新婚旅行はこのときから7年後に行くことになる。)

 さあ、どうする!私は途方に暮れた。ドレスはどこで借りる?どうやって始めればいい?一体誰に相談したらいいの?
 とりあえず会場を決めることにした。すると自動的にプランナーさんが決まった。でも、プランナーさんはプランナーさんだった。

 ドレスのフィッティング。そんな場にプランナーさんが来るはずはない。そこは衣裳係がやる。
 「このドレスにこんなブーケを合わせたいけど合うと思いますか?」の質問には、
 「私達は衣裳係なので、お花に関しては、花屋さんに相談して下さい」トホホ…。
 花屋さんとの打ち合わせ。プランナーさんに同席してほしいと伝えたら、花屋さんが来ると同時に、席を立って別のお客様と打ち合わせしていた。トホホ…トホホ…。
 何が苦しかったって、結婚式の全てを把握している人が自分の他にいないということ。
 これって、すごい不安。

 でも、どうにか本番の日を迎えた。つつがなく終了した。
 結婚式ってこういうことだったんだ~~~!!やっと全体像が見えて、イメージが明確になった時には、結婚式は終わっていた…。

 この愛を!!結婚式の色々を、誰かに伝えたい。
 他の女性に、結婚式までのあれこれを一人で背負わせない、一から十までをきちんと受け止めて、最高のデザイニングをするウェディングプロデューサーがいてもいいんじゃない?

 まったく畑違いの職場からの起業。みんな眼を見開いた。でも主人だけは、「大丈夫。出来る」と言ってくれた。

 あれから五年。その間に娘も生まれた。子どもが出来たことで、妊娠中やお子さんを連れての打ち合わせへの安心感からか、家族ウェディングの案件も増えた。
 結婚式って理想だけでは進まない。でも、夢を理想を少しでも多く叶えられるように。
 何よりも当日のイメージを一緒に分かってくれる人。この人がいるから大丈夫。自分はひとりじゃないと思えるような。会場も、お料理も、ドレスも、フラワーも、撮影も、当日いつでも私がそばにいる。それを安心だと感じていただけたら。

 ラブバイレはこうして誕生した。